保々家住宅主屋(ほぼけじゅうたくしゅおく)

ページ番号1002385  更新日 令和2年2月17日

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写真:保々家住宅主屋

中山道大湫宿は江戸から47番目、京都から23番目の宿場で、江戸へ90里半、京都へ43里半、東の大井宿までは3里半、西の細久手宿までは1里半(宿場設置当初は御嵩宿まで4里半)で、美濃国の中で最も高所に所在する宿場でした。
大湫の開拓が始められたのは天正年間(1573年~1590年)といわれ、慶長9年(1604年)に正式に宿場として設置されました。宿場は尾張藩の千村氏・山村氏の折半知行地で、大湫を開拓した保々氏が代々、宿場や本陣、脇本陣などの経営にあたりました。
保々家住宅は、中山道大湫宿の脇本陣にあたり、旧宿場のほぼ中央に位置します。街道から幅約3メートルの坂を上がった高台に建てられており、木造平屋建て、切妻造り、桟瓦葺き、平入りで、正面の庇の上の小壁には木瓜形の窓や桔梗文の漆喰飾りが設けれられています。
建物は、当初本陣として建てられたものが、享保10年(1725年)に脇本陣になったものと言われ、当主は代々保々長左衛門が世襲し、領主であった山村氏方の庄屋と問屋を兼任しました。
現在の建物は江戸時代中期の建築とみられ、文政9年(1826年)の大火で2階部分を焼失した後、尾張藩の援助により茅葺から瓦葺に改修されたものとされます。
かつては建物の西側が座敷を中心とする脇本陣施設、東側が保々氏の住宅施設でしたが、明治時代以降に座敷や玄関などが取り壊され、現在は建物の半分程度が概ね往時のまま残されています。

登録番号
21-0090
登録年月日
平成18年8月3日
指定の別
国登録文化財
種別
有形文化財
類別
建造物
時代・年代
江戸時代
員数他
1棟
所在地
瑞浪市大湫町402番地の1
所有者・管理者又は技術保持者
個人

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