中山道(一里塚の解説)

ページ番号1002354  更新日 令和4年5月5日

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写真:瑞浪一里塚

指定番号
文部科学省告示第83号
指定年月日
令和元年10月16日
指定の別
国指定文化財
種別
記念物
類別
史跡
時代・年代
江戸時代
員数他
 
所在地
権現山一里塚 瑞浪市大湫町618番1・618番2
八瀬沢一里塚 瑞浪市大湫町23番・日吉町6261番2
奥之田一里塚 瑞浪市日吉町2058番2・6838番
鴨之巣一里塚 瑞浪市日吉町9228番1・8711番1
所有者・管理者または技術保持者
瑞浪市

一里塚とは、旅人や運送業者に道中の距離を示すことを目的として築かれた塚(土を盛ったマウンド)で、塚には目印のため、また風雨による損壊防止のために榎や松などが植えられました。一里塚の多くは片側のみ残っていますが、道路の両側設置されるのが本来の姿です。
一里塚が全国的に整備されたのは江戸時代になってからのことで、『慶長見聞集』によれば、江戸幕府は慶長9年(1604年)に江戸の日本橋を起点とし、36町を1里として一里塚を設置したといいます。また『徳川実記』にも慶長9年に一里塚を築かせたと記されています。また『若葉集』には慶長17年に東海道・中山道の塚が完成したと記されており、工事は9年ほどの内に完了したとみられます。
岐阜県(美濃国)内の中山道には31箇所に一里塚が築かれましたが、開発などによって現在ではそれらのほとんどが失われてしまっています。そのような中にあって、瑞浪一里塚のように4箇所の一里塚が両塚とも連続して残っている事例は全国的に見て極めて貴重です。

権現山(樫ノ木坂)一里塚(ごんげんやま(かしのきざか)いちりづか)

大湫町と釜戸町の境に近い樫ノ木坂に所在し、樫ノ木坂一里塚とも呼ばれます。江戸へ90里、京都へ44里を示すもので、南塚は高さ約5メートル、径約9メートル、北塚は高さ約3.5メートル、径約10メートルです。幕末に記された『中山道宿村大概帳』により、塚には松が植えられていたことが知られます。

八瀬沢(琵琶峠)一里塚(やせざわ(びわとうげ)いちりづか)

大湫町と日吉町の境である琵琶峠の西側斜面に所在し、南塚は大湫町、北塚は日吉町にあります。琵琶峠一里塚、琵琶坂一里塚などとも呼ばれ、江戸へ91里、京都へ43里を示すものです。南塚は高さ約5メートル、径約10メートル、北塚は高さ約4メートル、径約9メートルで、幕末に記された『中山道宿村大概帳』により、塚には松が植えられていたことが知られます。

奥之田一里塚(おくのたいちりづか)

日吉町細久手の東に所在し、江戸へ92里、京都へ42里を示すものです。南塚は高さ約4メートル、径約10メートル、北塚は高さ約3.5メートル、径約13メートルで、幕末に記された『中山道宿村大概帳』により、塚には松が植えられていたことが知られます。

鴨之巣一里塚(こうのすいちりづか)

日吉町の西端、可児郡御嵩町との境付近にあり、江戸へ93里、京都へ41里を示すものです。南塚は高さ約3.6メートル、径約10メートル、北塚は高さ約3メートル、径約10メートルです。両塚は自然地形の制約を受け、東西に16メートル程離れて築かれており、幕末に記された『中山道宿村大概帳』により、塚には松が植えられていたことが知られます。

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