旗本馬場氏累代の墓(はたもとばばしるいだいのはか)

ページ番号1002347  更新日 令和2年2月17日

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写真:旗本馬場氏累代の墓

馬場氏は信濃を拠点として栄えた木曽衆の一氏で、慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦後に江戸幕府の旗本となりました。土岐・恵那・可児郡の内で1,600石(後に加増されて2,600石)を知行し、現在の釡戸町に陣屋を置きました。
天猷寺は椿寺とも呼ばれる臨済宗の寺院で山号を竜吟山、寺号を天猷寺といいます。初代の馬場半左衛門昌次が父昌祐を供養するため、元和2年(1616年)に建てた菩提寺で、3代利尚により現在地に移されました。
馬場氏累代の墓は天猷寺の境内にあり、傘塔婆2基と剣碑14基が整然と並べられています。他の大名にも劣らない規模の墓石も多く、江戸時代の武家・旗本の格式を示しています。
墓所は、2代利重(長崎奉行、大機院殿)、3代利尚(本所奉行、凉泉院殿)、4代尚恒(大阪御目付代、潮音院殿)、5代尚真(浄名院殿)、6代尚繁(従五位下讃岐守、京都町奉行、徳寿院殿)、7代尚式(大阪御目付代、耕雲院殿)、8代利光(従五位下讃岐守、日光奉行、養徳院殿)9代昌平(曽渓院殿)の八代にわたるものと、その一族のものですが、初代昌次(雄岳院殿)、10代克昌(従五位下筑前守、龍雲院殿)、11代昌之(長昌院殿)の墓石は東京中野区にあり、ここにはありません。

指定番号
瑞史12
指定年月日
昭和36年6月9日
指定の別
市指定文化財
種別
記念物
類別
史跡
時代・年代
江戸時代
員数他
1箇所
所在地
瑞浪市釡戸町1534番地の1
所有者・管理者又は技術保持者
天猷寺

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