小里城跡(おりじょうあと)
小里城は稲津町小里の城山と呼ばれる丘陵上に立地しています。築城年代は明らかでありませんが、土岐氏の流れを汲む小里出羽守光忠が天文元年(1532年)頃に築き、以後代々の居城となったといわれています。
戦国時代末期、東濃地方は尾張に拠点を置く織田軍と、甲斐から京都へと進軍する武田軍の勢力が衝突する地域となりました。天正2年(1574年)に武田軍が明知城(恵那市)を包囲すると、織田信長は小里城と神箆城(鶴ヶ城:瑞浪市土岐町)を固め、池田恒興を城に配しました。また、天正10年(1582年)の本能寺の変後、小里光明は東濃を支配した森長可に従わず、徳川家康を頼って小里城を離れました。
慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦の戦功により、小里光親(光明の孫)は土岐・恵那郡の旧領(3,580石)を回復して旗本となり、小里城に陣屋を築きました。しかし、その後家督を継いだ光重(光親の子)が跡継ぎの無いまま元和9年(1623年)に没すると小里氏は断絶し、小里城も廃城となりました。
このように小里城は、戦国時代には織田軍の城として、また江戸時代には小里氏の領地支配の拠点(陣屋)として重要な役割を担いました。現在も山頂の「本丸曲輪」と山麓の「御殿場跡」に平坦面(曲輪)や石垣などがみられ、この2か所が史跡に指定されています。
- 指定番号
- 岐史169
- 指定年月日
- 平成25年5月7日
- 指定の別
- 県指定文化財
- 種別
- 記念物
- 類別
- 史跡
- 時代・年代
- 室町~安土桃山時代
- 員数他
- 2か所
- 所在地
- 瑞浪市稲津町小里2702番地の1ほか
- 所有者・管理者又は技術保持者
- 瑞浪市ほか
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